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西宮市上ヶ原で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue

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2021/05/22

西宮市 上ヶ原の不動産売却・購入ならお任せ下さい!

不動産売却・購入は、株式会社Fineblueまで

 

西宮市 上ヶ原の不動産をご所有の方、ご売却のご相談は、株式会社Fineblueにお任せ下さい。

また、西宮市 上ヶ原の不動産を購入をご検討されている方も株式会社Fineblueにお声掛け下さい。

弊社では、西宮市上ヶ原の不動産売買をお考えの方に良きパートナーとしてお客様に寄り添って、売買のお手伝いをさせて頂いております。

どんな事でも、お気軽にお問い合わせください。ご連絡、お待ちしております。

 

上ヶ原 【名前の由来】

上ヶ原は、昭和33年に周辺の上甲東園、岡田山なども含めた「上ヶ原地区」として西日本で最初の文教地区に指定された町です。上ヶ原の名が付く町名は、上ヶ原一番町から上ヶ原十番町と上ヶ原山田町、上ヶ原山手町の十二町になります。豊かな緑、落ち着いた住宅街を行き交う若い人達、そして、ヴォ―リス(神戸女学院も手掛けた建築家で近江兄弟社の創立でも知られる)が設計したというスパニッシュミッションスタイルの関西学院大学の校舎がアカデミックでかつ明るい雰囲気を醸し出している町です。その上ヶ原一番町の西の端にかつての上ヶ原んお姿を伝える小さな分水樋があります。(上ヶ原用水分水樋)

仁川から引き込んだ来た水を増水時、渇水時も、その水量に関わらず、常に同じ様に下流の村へと供給し続けた上ヶ原の歴史を語る、声なき語りべです。

上ヶ原台地、甲山の東に広がる、この台地は、大昔に仁川が作った扇状地です。長い年月の間に仁川は、深く谷を削り、また、東川も台地の西を大きく削り取って、今の地形になりました。早い時期から人間が利用していたらしく、弥生時代の村の跡が2ヵ所が発掘されています。古墳時代に入ると上ヶ原台地は、古墳が築かれる地となります。現存する関西学院構内古墳のほか、開発によって失われたものも含め、おびただしい数の古墳がありました。しかし、この古墳時代は、本格的に農業が始まっていました。水を得るのが難しい台地では、人々は暮らしていけません。人々は、台地を降りて、その麓に集落を作りました。

奈良時代の中頃までには、門戸、神呪、広田の集落が成立、一方、人々が去った台地は、荒れ地と化し、麓からは、上の方の原っぱという事なのでしょう「上ヶ原」と呼ばれました。

当時、この辺りを治めていた尼崎藩が上ヶ原台地に新田を開発しようと考えたのは、江戸初期(1650年頃)の事です。開発にあたって最大の問題となったのは、耕作に不可欠な農業用水をどこから引いて来るかという事でした。尼崎藩は、仁川の水をあてがおうとしました。しかし、仁川の水にも限りがあり、更に取水する村が増える事は、以前から仁川の水で生活している他の村には、死活問題です。そこで、仁川の取水権を持っている広田村など社家郷の村々(鷲林寺、新田、広田、越水、中、西宮)に仁川からの取水を控えさせ、その穴埋めとして、甲陽大池などの村の溜池を作りました。こうして、上ヶ原の新田開発の為の水利は、確保しましたが、次は、仁川からの取水の方向が問題でした。高い所では、標高75mもある台地のうえ、ポンプもない時代、台地の上まで水を引き上げる事が出来ません。この為、さたに標高の高い仁川上流に取水を求め、そこから、岩山を切り開いて、上ヶ原まで水を引いて来ました。この工事がどんなに大変だったか、目もくらむ崖に築かれた水路、人ひとりがやっと潜り抜ける事が出来るぐらいの暗渠がそれを語っています。今も水路には、ノミの跡が残る仁川の取水を巡っては、周辺の村々で何度も揉め事が起こりました。田畑を村の命を支える為に絶対に譲れなかった水の権利、ギリギリの線を争って何度も取り決めが交わされました。厳しい自然を対峙しつつ、村が共存する道を求めた。

先祖の歴史と英知を物語るのが定まった通りに村々に水を分ける、分水樋なのです。ここで上ヶ原新田村、門戸村、神呪村と分けられていた。上ヶ原新田村は、水路が生んだ村でした。分水樋から上ヶ原新田村に流れ込んだ水は、土地の高低差を利用しながら、更に幾筋にも分けられ広い新田にくまなく流れ込みました。その用水の流れ込む田んぼの区割が十二番まであって、それがそのまま、一番割から十二番割まで、その地の字名になりました。

明治に入り周辺集落と甲東村を形成、甲東村大字上ヶ原となりましたが、農業を生業とする風景は、変わりませんでした。住宅街へと大きく変貌を遂げるのは、昭和の初期の関西学院大学の移転、そして阪急今津線の開通と甲東園駅の開設以降になります。

昭和16年、急速に都市開発が進み始めた甲東村は、西宮市と合併

昭和28年、上ヶ原に新町名が付けられました。多少の区割の違いはあるものの、旧字の一番割から十二番割が上ヶ原一番町から上ヶ原十番町になりました。また、西側の山手が上ヶ原山田町、上ヶ原山手町となりました。

まとめ

上ヶ原一番町~十番町

台地上の荒れ地、原っぱなので麓の集落から「上ヶ原」と呼ばれた。

町の番号は、用水んお割り当の番号を引き継いだ。

上ヶ原山田町、上ヶ原山手町

さらに山側のエリアにつけられた。

上ヶ原四番町 新築戸建物件のご紹介

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