西宮市奥畑で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue
2021/06/06
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奥畑 【名前の由来】
「紀徳碑」この碑が立てられている越水浄水場は、西宮で最初に建設された浄水場です。水源の確保、資金不足という困難を乗り越えて、関西でも、大阪、京都、尼崎に次いで4番目に生まれました。越水浄水場建設が計画されていたのは、大正8年頃です。第一次世界大戦直後の高景気も手伝って、旧西宮町では、お酒の生産高が急増していました。酒造用水として名高い宮水の需要も高まって、遠くは、広島や愛媛にまで出荷していました。電動ポンプの登場した頃には、遠方に船積みされるものでも20万樽を超えていました。この為、酒造シーズンには、付近の井戸水が濁ったり、枯れたりして、住民の生活に影響が出ました。当然、町も浄水場建設を緊急課題としていましたが、その建設費は、町の年間の総予算の3倍の約100万円の費用が必要でした。資金難で苦しむ町に経費の大半を寄付したのが辰馬吉左衛門と八馬兼介でした。辰馬吉左衛門が50万円、八馬兼介が30万円を寄付されたそうです。浄水場建設の夢は、実現化へ進み始めたのでした。
大正12年、越水第一浄水場が完成しました。季節や天候に関わらず、安定して安全な水が供給される幸せ、給水管の清掃が終わるのを待ちきれない町民の為、役場では、予定を早めて止水栓を開放、しばらくは、水が濁る為、飲まない様にと呼びかけた程です。浄水場が出来た丘陵は、越水山(こしみずやま)古くは小清水とも書きました。その名の通り、太古の昔から丘陵南端の崖下から枯れる事なく、質の良い水が湧き出し、人々の営みを支えてきた地です。もっとも完成した当時の越水浄水場の水源は、旧瓦林村の菰池集水池(武庫川水源池)です。農業用水池だったニテコ池の水も補助水源として利用されました。現在は、北山貯水池、阪神水道企業団からの水を主として使用している。西宮の起業家や町民たちの持っていた先見性と公共精神は、西宮の伝統とも言えます。その彼らの熱い志が越水浄水場を生んだのでした。
浄水場完成時には、町民などが桜の苗木を10株づつ、持ち寄って植えました。その後、桜守という異名をとる桜の研究家、笹部新太郎の指導で日本固有の桜、山桜、里桜、しだれ桜なども加わり、今では有名な桜の名所となりました。現在、桜の本数は、500本、毎年春には、見事な花で埋め尽くされ、人々の心を慰めてくれます。
浄水場のある奥畑は、旧越水村の一角から昭和13年に生まれました。奥畑とは、村の耕地の中で奥まった位置にあった為に生まれ、それが町名に採用されました。
まとめ
奥畑とは、奥まった位置にあった耕地の意。それが町名に採用される。
奥畑 夙川ハウスのご紹介
夙川ハウスは、阪急電鉄甲陽線苦楽園口駅から徒歩11分。西宮震災記念碑公園へ徒歩3 分、徒歩6分には大型スーパーがあり便利な立地です。小学校・中学校へも徒歩10分以内です。夙川ハウスは、ブラウンタイルを貼ったL字型の堂々たるフォルムです。総戸数72戸、RC造地上7階・地下1階建てで、高層階からは雄大な眺望が展開しています。エントランスはグレードを追求したデザイン。スロープを配して人に優しい配慮もかいまみえます。安全性への配慮として、オートロック、24時間遠隔監視システム、ロボットゲート、テレビモニター付きインターホンが採用されています。夙川ハウスのプランは、2LDK~3LDK。 フローリング敷きで高級感を演出しています。浄水器、スパイスラックなどを設置して機能性を追求したキッチンシステムをはじめ、宅配ボックス、24号給湯器など、便利で快適な設備・仕様が採用されています。1997年8月の完成です。