西宮市甲子園八番町で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue

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2021/08/26

西宮市 甲子園八番町の不動産売却・購入ならお任せ下さい!

不動産売却・購入は、株式会社Fineblueまで

 

西宮市 甲子園八番町の不動産をご所有の方、ご売却のご相談は、株式会社Fineblueにお任せ下さい。

また、西宮市 甲子園八番町の不動産を購入をご検討されている方も株式会社Fineblueにお声掛け下さい。

弊社では、西宮市甲子園八番町の不動産売買をお考えの方に良きパートナーとしてお客様に寄り添って、売買のお手伝いをさせて頂いております。

どんな事でも、お気軽にお問い合わせください。ご連絡、お待ちしております。

 

甲子園八番町 【名前の由来】

西宮市のシンボルの一つ阪神甲子園球場。高校球児の憧れ、阪神タイガースの本拠地として、全国に名高いその名前は、大正13年、甲子(きのえね)の年に完成した事から甲子園球場と名付けられました。収容人員6万人(現在は、改修され47,508人)という、当時としては、桁外れの規模、観客席からグランドの土、球場内の様々な設備にこだわり抜いた、まさしく東洋一の休場は、人々の目を大いに驚かせました。

甲子園球場が建てられたのは、鳴尾村。ちょうど武庫川の支流、枝川が申川に分岐する場所です。支流とは言っても枝川は、武庫川本流に負けないぐらい豊かに水が流れる広々とした川でした。現在、戸崎町から球場の東側を通って浜甲子園まで通る道路、甲子園筋がかつての枝川です。大正12年、氾濫を繰り返す武庫川の改修の為、そして、大阪神戸を結ぶ動脈、阪神国道(国道2号線)建設資金捻出の為、一石二鳥の策として、申川共々埋立てられました。

生まれた土地を買ったのは、阪神電鉄。かねてからの夢、レジャー、スポーツ施設の運営と住宅地経営を2本の柱とする一大事業の展開をここで実現させる事になったのです。まずは、開発のシンボル甲子園球場が大林組によって4か月半の突貫工事で完成、続いてテニス、水泳、陸上競技など様々なスポーツの殿堂を立ち上げました。【甲子園海水浴場、甲子園水泳研究所、甲子園庭球場(百面コート・庭球会館)、浜甲子園プール、甲子園球場内温水プール、甲子園球場内室内運動場、甲子園水上競技場、甲子園南運動場)

また、ファミリー向けには、遊園地と動物園のある阪神パークをオープン(当時は、浜甲子園にあった)大いに賑わいました。これらの施設を使ってイベントやスポーツ大会も次々と催されました。(ハーゲンベックサーカス、全日本スキージャンプ大会など)押し寄せる観客を運ぶのは、もちろん鉄道です。甲子園筋に球場建設用線路を整備した甲子園線を営業開始、順次路線を延ばしました。

甲子園開発のもう一つの柱、住宅地経営も大成功でした。交通の便も良く、周囲には生活を楽しめる様々な施設、そのうえ旧枝川の堤防上ですから、風光明媚、近景には松の緑と田園風景、目をやると六甲や北摂の山々が眺められます。

現在の住居表示の基になったのは、阪神電鉄の付けた販売用のネーミングです。鳴尾村字なになに等という、正規の字とは別の球場名えお冠した名前で、今の戸崎町あたりが甲子園一、ニ、三番町、元の川の形状に沿って北から順に四番町、五番町と続きました。現在の町域とは、相当違っていて、なんと十番町まで存在していました。

甲子園一番町

現在の甲子園一番町は、甲子園筋から少し外れた国道2号線沿いです。甲子園開発とは別の公地整備事業で宅地化され、東甲子園と命名されたのは、隣接する甲子園の雰囲気を持っていたからでしょう。そして、戦後、鳴尾村が西宮市と合併した後、再び町名の整備され、甲子園一番町となりました。

甲子園二番町

国道2号線と甲子園筋の交差点にあるのが、甲子園二番町。以前は、戸崎、大山という字名がありましたが武庫川の氾濫で流されてきた土砂で築いた小高い土手でもあったのかもしれません。

甲子園三番町

甲子園三番町、この町には江戸時代、水に苦労した鳴尾の歴史を伝える石碑があります。北郷公園の鳴尾義民の碑です。江戸時代、鳴尾の人々が命をかけて守った地下水路が北郷公園の下を走っていた。公園を取り巻く鬱蒼とした松林、かつての枝川の土手の風情を感じさせます。三番町は、かつては甲子園五番町と呼ばれ、甲子園筋の停留所名としても親しまれていました。町名が現在の甲子園三番町となったのは、昭和30年の事です。

甲子園四番町、甲子園五番町

甲子園四番町、五番町、ここには、かつて茶屋ノ前、茶ノ後、四軒茶屋といった字名がありました。すぐ南は、中国街道です。枝川を渡り終えて一息つく人、枝川が荒れて足止めをくらった人が、ここで一服、昔の旅の風景が目に浮かびます。

甲子園六番町

茶屋は、旧中国街道を挟んだ南側、甲子園六番町あたりにもあった様です。字四軒茶屋のほか、字松の茶屋がありました。美しい松が生えていたのでしょうか。この地が中心だった旧鳴尾村の集落の名も八ツ松でした。

甲子園七番町

阪神甲子園駅は、甲子園七番町にあたります。ここは、甲子園開発に先立ち最も早く住宅地開発が行われた所です。大阪のエリートサラリーマンや文化人の家々が、づらりと並んで西畑文化村とも呼ばれました。若き日の佐藤八郎、森繁久彌も住んでいました。

甲子園八番町、甲子園九番町

甲子園八番町、九番町、甲子園筋沿いが昭和の甲子園開発で浜甲子園住宅経営地として販売されました。かつての字名は、内葭島、外葭島、中津、砂浜新田など、長い間、葦が生い茂げる中州だったことや、江戸時代、開発された事を伝えています。広大な土地は、明治末の競馬場誕生以降、時代の流れを写して、軍施設、遊園地にも利用されました。

競馬場→軍飛行場・米軍キャンプ→阪神パーク(休園後、昭和25年八番町で再開、平成15年閉園)

今は、その歩みも忘れたかの様な大型店舗やマンション、大学などが並ぶ穏やかな町です。

蔦さよぐ甲子園球場、全面的補修工事によって平成19年から3年がかりで若返りました。これからも、ずっと数々の思い出、歴史を詰め込んだ町のシンボルです。

まとめ

元は、開発した阪神電鉄の付けた住宅地名。大正13年、甲子(きのえね)の年に球場が完成、昭和30年の町域再編成で町名に採用

 

甲子園八番町 ワコーレ甲子園八番町のご紹介

ワコーレ甲子園八番町は2020年3月に竣工した、総戸数39戸のマンションです。鉄筋コンクリート造の地上7階建てで、分譲時の間取りは2LDK~3LDKでDINKSやファミリーにおすすめです。周辺は甲子園筋から約65m、臨港線から約95m入った、戸建て住宅やマンションが建ち並ぶ区画整理された住宅街です。北、東、西の3方向が道路に面した整形地に建っていて、住戸は南東側にレイアウトされ、ワンフロアに4戸~6戸が共用廊下に横1列に並ぶプランです。外壁はグレーとホワイトのタイル貼りで、エントランスには御影石を使用し上品な印象の外観です。ワコーレ甲子園八番町の最寄り駅は、阪神本線甲子園駅で徒歩8分の距離に建っています。甲子園駅は特急停車駅で、大阪梅田駅へ約12分、大阪難波駅へ約19分、神戸三宮駅へ約18分と、交通アクセスが良好で通勤通学にも便利です。周辺には、徒歩2分に大型のショッピングモールがあります。スーパーをはじめ衣料品店や雑貨店、飲食店、美容院など毎日の暮らしに必要な施設や休日の楽しみが身近にある環境です。教育施設、公共施設は小学校に徒歩10分、中学校に徒歩7分、図書館には徒歩6分、市役所支所は徒歩13分です。ワコーレ甲子園八番町の共用設備には、駐車場28台、屋外平面宅配用駐車場1台、バイク置場8台、スライドラック式自転車置場68台、サイクルポートスペース5区画、宅配ボックス、多目的洗い場などが備わっています。

外観

 

 

エントランス

 

 

ロビー

 

 

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