西宮市甲子園網引町で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue
2021/08/31
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甲子園網引町 【名前の由来】
甲子園球場の西側に古典にちなむ趣深い町名が並んでいます。甲子園浦風町、甲子園高潮町、甲子園洲鳥町、甲子園網引町です。高校球児の憧れ、阪神タイガースのホームグラウンドとして全国に名高い甲子園球場に隣接する事から、その名を冠した町名です。しかし、甲子園の名が付いたのは、昭和39年のこと。それまでは、かつての大字名今津を頭にして、昭和39年までは、今津浦風町、今津高潮町、今津洲鳥町、今津網引町と呼ばれていました。この地は、旧中国街道より南、東を流れていた、かつての枝川と申川、今も西を流れる新川に挟まれた地帯です。砂地がちの地で明治時代の地図では、空白地帯になっています。開発が始まったのは、大正期です。大正6年、先陣を切って、甲陽中学校(現:甲陽学院 昭和53年に角石町に移転)が創設されました。東隣りの鳴尾村でも甲子園開発が始まり、今津町の宅地開発にも拍車がかかり、大正15年、住宅地利用に向けて、周辺地の整備が行われました。何もなかった砂地には、縦横に道路が整えられ、現在の甲子園浦風町あたりは、旧字らしい南六石という字が記されていますが南の3町には、高潮、洲鳥、網引の名が既にありました。新川には、橋がかかって、今津の中心部と繋がっていますが、この橋の名前が浦風橋、高潮橋、洲鳥橋、網引橋、町名の由来となった橋なのです。
縦に細長く伸びる甲子園網引町、酒蔵通りにかかっているのが網引橋(昭和63年改修)です。網引橋にも夫木集の中に由来となった一首があります。
武庫の海に
海士のよび声聞こゆなり
霧のあなたに網引すらしも
早朝の霧が立ち込めた武庫の海、耳を澄ますと漁師たちが呼び交わしながら、網を引き上げる気配が伝わってくる。漁業も大切な生業の一つだった今津の暮らし、そのワンシーンです。
まとめ
甲子園網引町は、和歌を元に名付けられた網引橋にちなむ
昭和39年、今津網引町から甲子園網引町に改称
甲子園網引町 レピア甲子園のご紹介
レピア甲子園は鴻池組施工、住金興産と住金物産販売の1999年3月に竣工した総戸数35戸の5階建ての第二種住居専用地域に佇むマンションです。専有面積は71.05㎡~93.00㎡、間取りは3LDK~4LDKでファミリー向けのマンションです。レピア甲子園は住戸が南と南西向きで、その内の約半数が角住戸で、各フロアの真ん中には1階から最上階までの吹き抜けも設けてあり、採光や通風に配慮した設計になっています。各玄関前には戸建感覚を演出するポーチとアルコープがあり、その脇には収納に便利なトランクルームも設けられています。またエントランスはオートロック式で防犯面も安心です。徒歩12分圏内には小、中学校などの各教育施設が揃っています。レピア甲子園は阪神電鉄本線の甲子園駅より徒歩6分です。最寄り駅周辺には大型スーパーや大型ショッピングモールなどの生活施設が充実しており利便性に優れた環境にあります。すぐ近くには甲子園球場があり気軽に野球観戦を楽しむことも出来ます。