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西宮市小曽根町で不動産売却・購入をお考えの方は株式会社Fineblue

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西宮市小曽根町で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue

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2022/03/01

西宮市 小曽根町の不動産売却・購入ならお任せ下さい!

不動産売却・購入は、株式会社Fineblueまで

 

西宮市 小曽根町の不動産をご所有の方、ご売却のご相談は、株式会社Fineblueにお任せ下さい。

また、西宮市 小曽根町の不動産を購入をご検討されている方も株式会社Fineblueにお声掛け下さい。

弊社では、西宮市小曽根町の不動産売買をお考えの方に良きパートナーとしてお客様に寄り添って、売買のお手伝いをさせて頂いております。

どんな事でも、お気軽にお問い合わせください。ご連絡、お待ちしております。

 

小曽根町 【名前の由来】

武庫川沿い阪神電車と2号線に挟まれた一帯は、旧鳴尾村の長い歴史が垣間見える地域です。地域の中程を通る旧中国街道、現在は武庫川橋で武庫川を渡りますが江戸時代までは、渡しがあり、付近の村がその仕事にあたっていました。この小松の渡しを渡った先には、おかしの宮と呼ばれた長い歴史を誇る神社がありました。岡太神社(おかた)です。ここでは、一時上臈(いっときじょうろう)に備えて準備が行われてました。一時上臈保存会の人達が手際よく紅白の御幣を作ってゆきます。むかしむかし、神社の森に乱暴なヒヒが住み着いた事がありました。それを岩見重太郎という豪傑が生け贄の娘の身代わりとなって退治、喜んだ村人が毎年、娘の身代わり人形を神社に奉納したのが、この一時上臈の由来である。古式ゆかしい神社には、そんな昔話も伝わっています。

鳴尾の地名が記録上で最も古く遡れるのは、平安時代の承徳元年、1097年の事です。歌人として有名な源俊頼が父の死を嘆いて歌った和歌があります。

羨まし なるおにたてる 松ならば 浪かけぬ間も あらましものを

数々の和歌や謡曲の題材として詠われてきた鳴尾の一本松。その高さは、沖ゆく船や旅人の目印にもなり、遠くは大阪の天王寺から見えたという伝説が残されています。現在は、里中町の五代目の松が歌に詠まれた古の鳴尾への道しるべとなっています。

つねよりも 秋に鳴尾の松風は 分けて身にしむ 物にぞありけむ (西行法師)

和歌に登場するずっと以前の鳴尾の海岸線は、今の2号線よりかなり北にありました。長い年月の間に武庫川の流れが運んで来た砂や土が堆積し、そこに瀬戸内海の潮流や風が手を貸して、砂州が形成されました。鳴尾は、その名前から ナル(緩やかな傾斜地)オ(先端)緩やか砂州の先端部分に位置していたと思われます。また、この様な痩せた砂地は、砂礫地=そね と呼ばれていましたが、10世紀半ばには、開拓されて曽禰郷と名付けられています。この村が字小曽根の母体の様ですが、では、なぜ、小曽根なのでしょうか?

おそらく曽禰郷は、その後、大いに発展し、大曽根や小曽根が生まれたと思われます。ところが、いつの時代か例によって武庫川が氾濫、小曽根以外の集落が壊滅したのでは、ないでしょうか。

 

小曽根町 グランソシエ甲子園口のご紹介

グランソシエ甲子園口は1999年2月に竣工した9階建て総戸数42戸のマンションです。専有面積は69.74㎡~83.84㎡、間取りは3LDK~4LDKでファミリーに適しています。42台分の駐車場を完備しており、歩車分離がなされているので、歩行者は安全です。全戸南向きで、開口部前面は道路のため陽当たり、通風ともに良好です。玄関前にはアルコープを設け、プライバシーに配慮し、廊下にも物入れを配し、豊富な収納スペースを確保しています。浴室換気暖房乾燥機、浴室の追い焚き機能など便利な設備が備わり、TVモニター付きインターホンと連動したエントランスのオートロックが住まいの安心安全を守ります。グランソシエ甲子園口の外周には植栽が施され、1階住戸の程良い目隠しにもなっています。グランソシエ甲子園口の最寄り駅はJR東海道本線の甲子園口駅で、駅から徒歩11分です。

外観

 

 

間取り

 

 

エントランス

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