西宮市甲子園浦風町で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue
2021/09/02
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甲子園浦風町 【名前の由来】
甲子園球場の西側に古典にちなむ趣深い町名が並んでいます。甲子園浦風町、甲子園高潮町、甲子園洲鳥町、甲子園網引町です。高校球児の憧れ、阪神タイガースのホームグラウンドとして全国に名高い甲子園球場に隣接する事から、その名を冠した町名です。しかし、甲子園の名が付いたのは、昭和39年のこと。それまでは、かつての大字名今津を頭にして、昭和39年までは、今津浦風町、今津高潮町、今津洲鳥町、今津網引町と呼ばれていました。この地は、旧中国街道より南、東を流れていた、かつての枝川と申川、今も西を流れる新川に挟まれた地帯です。砂地がちの地で明治時代の地図では、空白地帯になっています。開発が始まったのは、大正期です。大正6年、先陣を切って、甲陽中学校(現:甲陽学院 昭和53年に角石町に移転)が創設されました。東隣りの鳴尾村でも甲子園開発が始まり、今津町の宅地開発にも拍車がかかり、大正15年、住宅地利用に向けて、周辺地の整備が行われました。何もなかった砂地には、縦横に道路が整えられ、現在の甲子園浦風町あたりは、旧字らしい南六石という字が記されていますが南の3町には、高潮、洲鳥、網引の名が既にありました。新川には、橋がかかって、今津の中心部と繋がっていますが、この橋の名前が浦風橋、高潮橋、洲鳥橋、網引橋、町名の由来となった橋なのです。
甲子園浦風町は、旧中国街道の南、南東の端が甲子園駅に接する甲子園筋の西側に広がる街です。町名の由来となった浦風橋(昭和37年改修)は、桜並木の途中にありました。橋の名の元になったのは、鎌倉時代の勅撰和歌集、玉葉集の中の一首でこの辺りの風景を詠んだ歌です。
夕づく日
和田の岬をこぐ舟の
かたほにひくや
武庫の浦風
太陽も西に傾き、金色に輝く光の中、和田岬を船が行く、武庫の海を吹く風が、漕ぎ手を助けるかの様に引き寄せている。そんな光景が目に浮かびます。
まとめ
甲子園浦風町は、和歌を元に名付けられた浦風橋にちなむ
昭和39年、今津浦風町から甲子園浦風町へ改称
甲子園浦風町 レフィナード甲子園のご紹介
レフィナード甲子園は、阪神電鉄本線甲子園駅徒歩2分にあります。大型ショッピングモールへ徒歩9分、阪神甲子園球場へ徒歩6分と、買い物や野球観戦等に便利な立地です。瓦林公園や月見里公園へは徒歩10分なので、早朝のウォーキング環境も整っています。 レフィナード甲子園はRC造6階建て、全69戸のスケールで、2003年8月竣工、大林組の施工です。プランは2LDK~5LDKとバリエーションに富み、77㎡超~163㎡超のゆとりが確保されています。専用庭付き、ルーフテラス付きの住戸もあります。駐車場は全69戸に対し、62台確保。レフィナード甲子園は、防犯カメラ、総合セキュリティシステム、オートロック、指紋照合住宅キー採用で安全性にも配慮されています。宅配ボックスは、宅配着荷表示付きハンズフリーカラーテレビモニタ付きセキュリティインターホンと連動していて、便利です。LDに温水式床暖房、光ファイバー回線など室内の設備も充実しています。