西宮市甲子園春風町で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue
2021/09/18
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甲子園春風町 【名前の由来】
大正末から昭和初期、都市部の急激な成長と中産階級の登場は、周辺地域の土地開発を活発化しました。武庫川支流の枝川、申川を埋立てた広大な土地に展開された阪神電鉄の甲子園開発は、民間企業による壮大な土地開発の一例で、前後して甲陽園、苦楽園、甲東園などの開発も行われています。そして、この時代、もう一つ盛んに行われたのが土地の権利者が組合を結成し、住宅開発を目的として行った耕地整理や土地区画整理でした。耕地整理組合、土地区画整理組合が存在した。大正末から、今津地区、津門地区と順に耕地整理を行ってきた今津町でしたが、現在の中津浜線沿い旧中国街道の北から国道2号線にかけてのエリアで土地区画整理が行われたのは、西宮市との合併が行われた昭和8年の翌年の昭和9年に今津地区区画整理組合が設立されました。
分譲地の当時の案内パンフレットによると甲子園などの行楽施設に近く、鉄道、バスなど交通機関に恵まれ、上水道、ガス、電灯、電話も完備、学校、公園、広い道路も準備さえている事が謳われています。「理想的住宅地、価格低廉、交通至便、空気清浄」の文字も並んでいました。
こうして、ほぼ全域で企画が整備された旧今津エリアでは、昭和10年代かつての大字名を活かした昭和13年・昭和15年に「津門〇〇町」「今津〇〇町」が一斉に誕生しました。後に甲子園春風町、甲子園浜田町、甲子園砂田町と改称される今津春風町、今津浜田町、今津砂田町という町名もこの時、誕生しました。
戦後の高度経済成長期、この辺りでも農地は少なくなり、住民も元から今津に住んでいた人より、他の地域からの転入者が大部分を占める様になりました。転勤などで移動も全国化するにつれ、高校野球などで知名度抜群の甲子園と隣り合う事から、これを町名に取り入れた方が相応しいと考えられる様になりました。こうして昭和39年に今津春風町は、甲子園春風町に、今津浜田町は、甲子園浜田町に、今津砂田町は、甲子園砂田町にそれぞれ改称され、同じ時期に8つの甲子園〇〇町が誕生しました。
甲子園春風町は、元々は今津春風町で昭和15年に誕生した時、選ばれた春風という言葉、これは、旧字の一つ春杭(はるかせ)に新たな字を充てたものです。新興住宅地らしい清々しさを感じさせるネーミングですが、元々の字名、春杭(はるかせ)には、どんな意味があるでしょうか?
確かな由来は、不明ですが、かつて周辺に存在した地名に何かヒントがありそうです。現在、町名に残る周囲の字名の一つ、野田(湿田)ぬかるんだ田んぼの事です。広い河原や砂浜の傍を連想させる浜田、そして砂田。そんな川岸や海岸を指して、川岸(かし)、海岸(がし)と言いますが、これが変化して春杭(はるかせ)の「かせ」になったのではないでしょうか。
春には、開墾するという意味の古語があります。つまり、春杭(はるかせ)とは、岸辺の開墾地。この地が遠い昔、開拓された頃に付いた呼び名に後生の人が読みに合う漢字を充てたものだったのではと考えられそうです。そして、現在、再び漢字を選び直して春風町。現在の町名に繋がりました。
まとめ
春風は、旧字、春杭(はるかせ)を元に新たに漢字を充てたもの
旧字は、「岸辺の開拓地」という意味の古語が語源か。