西宮市鞍掛町で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue
2021/07/15
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鞍掛町 【名前の由来】
鞍掛町にある白鹿クラシックス、白壁の土蔵を改装した外観、店内では、日本酒の試飲コーナーやオリジナルラベル製作コーナーなど、お酒を楽しむ為の様々な思考が凝らされています。この近辺では、日本酒の需要拡大を狙った施設がいくつかあります。
西宮の旨酒は、古くから有名でしたが、一帯が酒造地帯として大きく発展したのは、江戸時代の事です。現在の鞍掛町は、国道43号線から札場筋の西側を南に細長く伸びています。しかし、江戸時代、鞍掛町と呼ばれたのは、今の本町の一部で現在の鞍掛町にあたる札場筋沿いの西側は、濱鞍掛町と呼ばれていました。西宮は、古くから西宮戎社の門前町、西国街道の宿場町として発展、その頃には門前の15町が町方と呼ばれていた、その15町は、市庭町、社家町、浦之町、浜脇町、釘貫町、馬場町、中之町、鞍掛町、図子町、今在家町、宮武町、久保町、石才町、東之町、与古道町です。これに対し酒造業、海運業などの発達に伴って、海岸方面へ著しく拡大した西宮の南側、濱鞍掛町などが浜方でした。浜方は、浜之町、浜鞍掛町、浜久保町、浜石才町、浜東町です。
浜方の勢いは、盛んで明治に入っては、濱鞍掛町に武庫郡役場や西宮町役場が置かれ、明治32年、町役場が久保町へ移転するまで濱久保町と共に西宮の町の中心でした。大正14年、町方のほとんどが新たに本町となり、旧鞍掛町もそこに吸収されたのですが、この時、濱鞍掛町あたりが新たに鞍掛町の名を継いだのでした。
ところで、この鞍掛というのは、どういう意味なのでしょうか?
馬から外した鞍を掛けて置く台の事を鞍掛と呼んだ。
今でこそ、馬という言葉がからは、スポーツやリクリエーションが思い浮かびますが、言うまでもなく、鉄道や自動車が発達する以前は、重要な交通手段でした。江戸時代の西宮は、西国街道と中国街道の2つの主要道が合わさる交通の要地で幕府制定の宿駅も設けられ、公の旅行を助ける運輸労働者25人と馬25頭の常備を義務付けられていました。しかし、産業活動の発達などによって、交通量は、年々増加、人馬は不足、西宮宿では、幕府の許可を得て、周辺の十数の村から人馬を補っていました。これらの人馬を統括、継立を行った事務所を問屋場と言いました。大名の参勤交代を含む公用旅行への労働は安い公定料金でしたが、一般旅行者や商品輸送へのサービスは良い商売になります。問屋場は、西国街道と西宮町内の南北幹線の札場筋とが交わるところに設けられていました。そこは、休息する馬、出番を待っている馬の鞍が、いくつも台に掛けられていたのでしょう。これが鞍掛の名の起源なのです。
問屋場周辺は、明治時代まで馬借とお呼ばれていました。馬借とは、鎌倉・室町時代、畿内の交通要地にみられた馬を用いる交通業者の事です。また、馬と言えば、西宮の旧家には、馬に関連する名字が多くあります。著名酒造家の名字、辰馬、海運業で有名な八馬など枚挙にいとまがありません。
一馬、仁馬、六馬、七馬、十馬、万馬、葛馬、大黒馬、小上馬、善茂馬、大徳馬、与四郎馬、与三郎馬、小唐馬、音(乙)馬、千足など
こうした、馬が付く名字は、廣田社、戎社の祭礼に頭として参加、兵庫への神幸の際にも馬上で供奉した者達がそれを誇りに屋号にしたのが始まりと言われています。しかし、この様な神事の為に馬を養っていたのでしょうか。こうした家々は、平安時代以来の宿駅の伝統を持ち、中世にも兵庫の補助公的な役割を果たした西宮の運輸業社、すなわち馬借であったと考えられなしでしょうか。そう考えると西宮の町の文字通り中心部が馬借という中性的名称で長く呼ばれていた事も不思議ではありません。
鞍掛町、目を閉じると聞こえてくる馬の嘶き、蹄の音、その名前は歴史のアルバムを開けて、古き宿場の風景を呼び覚ますのです。