西宮市甲子園浜田町で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue
2021/09/16
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甲子園浜田町【名前の由来】
大正末から昭和初期、都市部の急激な成長と中産階級の登場は、周辺地域の土地開発を活発化しました。武庫川支流の枝川、申川を埋立てた広大な土地に展開された阪神電鉄の甲子園開発は、民間企業による壮大な土地開発の一例で、前後して甲陽園、苦楽園、甲東園などの開発も行われています。そして、この時代、もう一つ盛んに行われたのが土地の権利者が組合を結成し、住宅開発を目的として行った耕地整理や土地区画整理でした。耕地整理組合、土地区画整理組合が存在した。大正末から、今津地区、津門地区と順に耕地整理を行ってきた今津町でしたが、現在の中津浜線沿い旧中国街道の北から国道2号線にかけてのエリアで土地区画整理が行われたのは、西宮市との合併が行われた昭和8年の翌年の昭和9年に今津地区区画整理組合が設立されました。
分譲地の当時の案内パンフレットによると甲子園などの行楽施設に近く、鉄道、バスなど交通機関に恵まれ、上水道、ガス、電灯、電話も完備、学校、公園、広い道路も準備さえている事が謳われています。「理想的住宅地、価格低廉、交通至便、空気清浄」の文字も並んでいました。
こうして、ほぼ全域で企画が整備された旧今津エリアでは、昭和10年代かつての大字名を活かした昭和13年・昭和15年に「津門〇〇町」「今津〇〇町」が一斉に誕生しました。後に甲子園春風町、甲子園浜田町、甲子園砂田町と改称される今津春風町、今津浜田町、今津砂田町という町名もこの時、誕生しました。
戦後の高度経済成長期、この辺りでも農地は少なくなり、住民も元から今津に住んでいた人より、他の地域からの転入者が大部分を占める様になりました。転勤などで移動も全国化するにつれ、高校野球などで知名度抜群の甲子園と隣り合う事から、これを町名に取り入れた方が相応しいと考えられる様になりました。こうして昭和39年に今津春風町は、甲子園春風町に、今津浜田町は、甲子園浜田町に、今津砂田町は、甲子園砂田町にそれぞれ改称され、同じ時期に8つの甲子園〇〇町が誕生しました。
甲子園浜田町は、昭和15年に誕生した今津砂田町が起源で、後に甲子園浜田町となった町名です。旧字の浜田を取り入れた名前です。浜田は、その名通り、比較的後世まで海浜、あるいは川岸に近い田んぼでした。それを今に伝える2つの橋があります。町域を流れる野田川を流れる「九郎橋」そして、そのすぐ下流に架かる「兵衛橋」です。この場所は、昭和の始め頃まで九郎兵衛川田と呼ばれていたのですが、それにちなんで付けられたそうです。つまり、九郎兵衛さんが開拓した、または、九郎兵衛さん所有の川辺の田んぼだった訳で浜田の由来を裏付けています。
まとめ
甲子園浜田町の浜田は、海岸あるいは川岸に近い田という意味の旧字を受け継いだもの。
甲子園浜田町 ブランズ甲子園一楽荘のご紹介
ブランズ甲子園一楽荘は、豪商・田村駒次郎宅の跡地にあります。駒次郎が愛した画帖から一楽荘と名付けられ、一楽荘の庭園に使われていた石や石灯籠などをそのまま中庭やエントランス周りに配するなど、かつての趣を活かすランドプランが描かれています。ブランズ甲子園一楽荘は、阪神電鉄本線甲子園駅徒歩9分。RC造5階建てで、2006年10月完成です。周辺は大型商業施設が整い、たいへん便利なロケーションです。ブランズ甲子園一楽荘のプランは68.54㎡~96.79㎡で、トランクルーム付きもあります。安全性に配慮してオートロック、防犯カメラが設置され、宅配ボックスも付いています。床暖房、ミストサウナ、追い焚き機能付きバス、ウォシュレットなど、暮らしやすさを追求した設備・仕様が採用されています。「小型犬のみ」などの管理規約による制限はありますが、ペットの飼育が可能です。