西宮市甲陽園本庄町で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue
2021/10/19
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甲陽園本庄町 【名前の由来】
最初にこの地を購入下のは、西宮の商人、勝部重右衛門、大正の始めの事です。そして、大正7年、甲陽土地開発株式会社が設立されて、土地を買い取り、開発が開始されました。陣頭に立ったのが、本庄京三郎、本庄は、既に明治40年の香櫨園遊園地の開発にも関わっていました。本庄が夢見たのは、香櫨園や苦楽園以上のリゾート地でした。甲陽公園、岡を削り、大池の一部を埋めて作った平地に次々と娯楽施設を建設しました。大グランドの後にそびえる歌舞劇場、ここでは、宝塚歌劇の向こうをはって、少女歌劇が上演されました。子供ばかりか、大人も夢中になった様々な遊具。土地の起伏を利用して作った大すべり台や吊り橋、動物園に植物園、池にはボートと家族揃って楽しめました。なんと映画の撮影所もあって、見学まで出来ました。ゆっくりくつろげるカルパス温泉もありました。旅館や料亭の開業も相次ぎました。遊園地の周囲には、上水道や電灯を完備した宅地が分譲されました。経済界、芸能界の有名人などが邸宅や別荘を構え、甲陽園の名は、押しも押されぬ高級住宅地としても、世に広まりました。甲陽園に訪れる人の為、本庄は、御手洗川沿いに5.5m幅の自動車道を12kmに亘って敷設しました。また、大正13年には、本庄京三郎が阪急電車の小林一三と直談判した阪急甲陽線が開通、甲陽園の賑わいは、最盛期を迎えます。しかし、その後は、設備の近代化に遅れを取り、宝塚、甲子園にお客を奪われて、甲陽園の勢いは、すっかり衰えてしまいました。甲陽園が再び発展を始めたのは、第二次世界大戦後です。都市圏が膨張し、交通手段として、バス網が整備されるなど条件も整うと甲陽園は、住宅地として脚光を浴び、人口も急増しました。昭和28年、旧の大字、小字に代えて、新町名を付ける相談が市より町内会に持ちかけられました。開発初期からの住民を中心とした世話人たちは、遺族も甲陽園には、いない開発者の名を残そうと考えました。その結果、遊園地の中心地だった辺りを本庄京三郎にちなんで甲陽園本庄町と名付けました。そして、昭和34年、阪急電車が甲陽園駅周辺の経営地を15ヘクタールを販売、現在の様な住宅地、甲陽園となりました。
まとめ
甲陽園本庄町は、本庄京三郎が開発した総合リゾート甲陽公園の名を継ぐ、本庄町は、開発者、本庄の名を残そうと中心地の町名とした。
甲陽園本庄町 グランドハイツ甲陽園のご紹介
グランドハイツ甲陽園は、阪急甲陽線甲陽園駅が最寄り駅で、徒歩3分という駅からの近さが魅力的なマンションです。1976年11月に竣工しました。鉄筋コンクリート造の地上11階建てで、総戸数が225戸のビッグコミュニティです。各住戸の専有面積は49.68㎡~135.18㎡で、分譲時の間取りは2DK~5DK+納戸のプランがあり、シングル、DINKSやファミリーまで対応できるマンションです。住戸は南向きの棟と北西向きの棟からなり、ワンフロアに14戸~24戸が、V字型にレイアウトされています。ホワイトの外壁がさわやかな印象で、エントランスの植栽はよく手入れされています。エントランスホールは広々としたゆとりのある空間で、上品な雰囲気です。グランドハイツ甲陽園の共用設備としては、15人乗りエレベーター2基、駐車場、自転車置場、中庭、トランクルーム、プレイロット、管理室などが設けられています。グランドハイツ甲陽園の周辺は、マンションや戸建て住宅の建ち並ぶ住宅地となっていて、高台に建っており展望も良好です。徒歩3分の駅前にスーパーがあり食料品などの買い物が便利にできます。駅までの道には、コンビニエンスストア、歯科などのクリニック、薬局、銀行などがあります。