西宮市久保町で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue
2021/07/09
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久保町 【名前の由来】
江戸時代後期から明治の初め頃に楽しまれた五色刷りの版画(錦絵)芝居のワンシーンをモチーフにしたものに描かれている歌舞伎役者が自慢そうに掲げるのぼりには、新酒番船祝と書かれています。新酒番船とは、その年の新酒を上方から江戸へ届ける船便レース。江戸品川への一番船は積荷が高く売れたり、港までんお荷扱いに一年間優先権を与えられるなど、経済的利益のほか、オリンピックの勝者の様な栄誉が与えられました。一番船の乗組員は揃いの衣装(法被・はっぴ)で江戸の街を練り歩きました。こうした激しい競争の為、始めは、大阪の樽廻船問屋8件と西宮の樽廻船問屋6件、大阪の安治川愚口と西宮から同時にスタートさせていた。新酒番船もよりより一層のレースの公平を期す為、19世紀初頭から全ての船を西宮からスタートさせる様になりました。その出帆地が久保町の浜辺、久保の浜でした。新酒の積み出しは、当初、早いものでは、10月頃から行われていました。しかし、寒造りの酒が味が良いという事で寒い時期に酒造が集中する様になると、新酒番船の仕立ても次第に遅くなり、1809年は、12月5日、さらに幕末の1859年になると翌年3月に出帆したと記録されています。新酒番船の出発の日の久保の浜は、大変な賑わいでした。沖合には、当時としては最大級の1800国積みの帆船が7,8隻も停泊、浜辺は、船主や同業者組合の旗や吹き流しがずらりと並び、各地から集まった見物客で埋め尽くされました。そして、切手と呼ばれた今でいう送り状が各番線に届けられるやいなや大型帆船が碇を次々と引き上げ、出帆して行く様子は、圧巻であったといいます。この日の船主の家は、お祝いで100人に達しようかという程の人々が華やかないでたちで笛、太鼓を鳴らしながら、市中を練り歩きました。新酒番船が酒の街、西宮にとっていかに大きな行事であったが偲ばれます。
こうした樽廻船業者の意欲は、船の大型化、航海技術の進歩を促しました。江戸まで平均6日、最短2日あまりで到着する様になり、遂にはライバルの菱垣廻船の積荷を奪ってこれを駆逐しました。明治以降、辰馬汽船や八馬汽船など世界に雄飛する船会社や辰馬海上火災保険などの損害保険業が発達したのも、こうした背景があってのことだったと言えます。
江戸時代からの西宮のメインストリート札場筋、現在の久保町は国道43号線より南、札場筋線の東側を指しますが、元々は、43号線より北、もう一つのメインストリート西宮神社、赤門前の大通りあたりのことでした。そして、酒造と海運で栄え、浜側に発達した現在の久保町は、濱久保町と呼ばれていました。久保町、濱久保町、いづれも活気に満ちた西宮の心臓部で銀行、ガス会社の出張所、町役場、酒造組合事務所などが立ち並んでいました。大正14年、町域の改編でそれまでの久保町は、本町の一部となり、濱久保町が新たに久保町の名前を受け継ぐことになりました。かつて、樽廻船で賑わった久保の浜は、現在は、埋め立てられて、朝凪町という町に変わりました。しかし、変わらないのは、西宮の酒造の根本をなす宝物「宮水井戸」宮水発祥の伝承を持つ梅の木井戸(江戸時代の酒造家、山邑太左衛門がこの井戸の水で美酒を得、宮水と名付けた)のある久保町には宮水井戸が多数稼動しており、酒造地帯の一角として、今も紛れもなく重要な一を占めています。
ところで、久保町の名は、どこから来たのでしょう。かつて久保町があった本町通りあたりは、西宮南部に入海が広がっていた4,5世紀頃は、入海に突き出した砂嘴になっていました。入海は、川の運んでくる土砂によって、どんどん埋め立てられて、ついには、陸地になってしまうのですが、久保町あたりは、窪地が残ってしまったのでしょう。そのせいか昔、台風の時に見ずに浸かったという話があり、その窪地状の地形が町名の元となったのではないかと考えられます。
西宮交通公園、西宮の多くの子供達が訪れるユニークな公園です。信号に横断歩道、建物や標識、子供達が交通ルールを正しく学べる場所として昭和44年整備されました。
最も寒い季節に西宮の街を最も熱くした新酒番船、西宮の酒造りを支える宮水は、今も静かに湧き続けています。
まとめ
久保町は、かつて久保町あたりが窪地状になっていたせいか
大正14年、その久保町は、本町の一部となり、南に発達していた
濱久保町が「久保町」を引継いだ。
久保町 西宮朝凪アーバンコンフォートのご紹介
阪神電鉄本線西宮駅から徒歩17分に、西宮朝凪アーバンコンフォートはあります。駅から阪神バスで約8分の鞍掛町バス停も徒歩1分で利用でき、雨の日や荷物が多いときには便利です。近隣は、海が近い区画の整った住宅地の立地です。大型スーパーが近く、買い物利便性も良好です。西宮朝凪アーバンコンフォートは、RC造10階建て、全77戸の堂々たるフォルムです。完成は1996年2月で、新井組の施工です。3本の柱がデザインされたエントランスは印象的です。西宮朝凪アーバンコンフォートのプランは、全戸65㎡超の3LDK・4LDK。ルーフバルコニー付き、専用庭付きプランもあり、ファミリー向けの設計です。安全性に配慮し、オートロック、ホームセキュリティを採用。24時間対応留守番ロッカーを8ボックス設置して、利便性を高めています。条件付きですが、ペットの飼育が可能です。