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西宮市甲東園で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue

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2021/09/28

西宮市 甲東園の不動産売却・購入ならお任せ下さい!

不動産売却・購入は、株式会社Fineblueまで

 

西宮市 甲東園の不動産をご所有の方、ご売却のご相談は、株式会社Fineblueにお任せ下さい。

また、西宮市 甲東園の不動産を購入をご検討されている方も株式会社Fineblueにお声掛け下さい。

弊社では、西宮市甲東園の不動産売買をお考えの方に良きパートナーとしてお客様に寄り添って、売買のお手伝いをさせて頂いております。

どんな事でも、お気軽にお問い合わせください。ご連絡、お待ちしております。

 

甲東園 【名前の由来】

甲東園1丁目から3丁目は、阪急西宮北口駅から今津線に乗り換えて北へ2駅、甲東園の駅がある街です。駅の西隣り、アプリ甲東には、市役所の出先機関やショーホール図書館なども入り、地域住民が重宝しています。

甲東とは、甲山の東を表します。そこには、江戸時代末、大きく分けて門戸、上大市、下大市、上ヶ原新田、樋口新田、そして現在の甲東園1丁目から3丁目を含む段上と神呪といった七つの集落がありました。

明治初期に行政組織や区画が目まぐるしく変わった末、明治16年、七集落が門戸組を結成し、22年の全国的な町村再編成の際に広田町の飛び地を加えて、甲東村となりました。七つの村共に同じ様な規模の村だったので、その中の1つの村の名を引き継ぐのも難しく、新しく名付けたのです。

甲東村は、当時の農村部に珍しく教育熱心な村でした。下大市には現在の西宮市域では、2番目に古い寺子屋が明治5年までありました。また、明治新政府が国民皆学を目指した学制は、小学校設立費用を町村、学費を父母負担としたため、農村各地で反対運動が起こりましたが、この地では、早くも明治6年1月に門戸小学校(現・甲東小学校)が設立されました。就学率も西宮町を含む周辺他地域を圧倒する高さでした。昭和に入ると甲東村西部の上ヶ原台地から武庫川にかけての地域に学校の転入、設立が相次ぎました。大学設置など飛躍に向けて、阪急電鉄から土地の提供を受けた学校もありました。

関西学院(上ヶ原一番町)

神戸女学院(岡田山)

神戸女子神学校(岡田山、現・聖和大学)

戦後には、

報徳商業学校(現・報徳学園)

県立西宮高等学校(上甲東園)

仁川学院(甲東園)

こうした甲東村の発展に大いに貢献したのが、阪神急行電鉄(現・阪急電車)と芝川又右衛門です。阪急神戸線が開通した翌年、大正10年、甲東村の中心を南北に貫く今津線(当時は西宝線)が開通しました。しかし、当時、甲東園駅は、ありませんでした。甲東村の人達や学校関係者には、門戸厄神前駅(現・門戸厄神駅)が最寄り駅でした。芝川又右衛門は、この不便を解消しようと阪急電鉄に新駅設置を要請、駅舎建設費のみならず、駅前の1等地1万坪を無償で提供しました。こうして、大正11年、駅が誕生、当時の駅名は、「甲東園前」でした。芝川氏が経営する果樹園の名前が甲東園だったのです。芝川氏は大阪の貿易商に生まれ、家業を発展させたばかりではなく、鉱山経営、石油ランプ製造、製紙業、植林業など幅広く営んで大阪の代表的な商人となった人物の一人です。各地に膨大な土地を購入したのですが、甲東村でも、多くの土地を入手、およそ3万坪の果樹園「甲東園」を経営して立派な別荘も建てていました。茶を嗜み、多くの漢詩も残す風流人だった芝川氏は、今の甲東園二丁目付近が仁川の度重なる氾濫で出来た砂州と松林に覆われて頃、この地を買収、大小の松が枝ぶりも面白く、お生い茂るのを愛して、その風景を社会に長く残そうと如何なる開発も禁じていたといいます。

一面を桃畑だった甲東園駅前の土地を芝川氏から譲り受けた阪急電鉄は、ここに当時としては、珍しい建売住宅48戸を中心に、およそ100坪平均のゆったりした住宅地を開発、大正12年に売り出しました。これが阪急電鉄による西宮市域における最初の住宅開発で、その後、仁川駅周辺、門戸厄神駅周辺など今津線沿線への開発へと展開して行ったのでした。第二次世界大戦の足音が迫って来た昭和16年、甲東村は、西宮市と合併、村の名前は、消滅しましたが甲東園という名前は、住宅地名、駅名として残りました。甲東園が町名となったのは、戦争も終わった昭和27年、甲東園住宅地を中心に甲東園1丁目から3丁目が誕生しました。

旧西国街道から有馬、篠山盆地へ抜ける最短コースだった旧有馬道、くらがり街道とも言いました。岡田山や門戸厄神の東を通る道は、ちょっとした崖下になります。「くら」には、谷や崖、あるいは、深い崖を持つ山という意味もありますし、実際、薄暗い道だったかもしれません。清荒神や門戸厄神へ信仰心で人々が通った道、酒造りの為、丹波杜氏が通い、酒米が運び込まれた道、街道の面影を残す今も現役の生活道です。

まとめ

甲東園1丁目から3丁目は、甲山の7村が合併、明治22年に甲東村の名が誕生。

甲東村の果樹園が甲東園と命名され、それが住宅地名に採用され、昭和27年に正式に町名となる。

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