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西宮市甲子園六石町で不動産売却購入をお考えの方株式会社Fineblue

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西宮市甲子園六石町で不動産売却・購入をお考えの方は、株式会社Fineblue

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2021/09/25

西宮市 甲子園六石町の不動産売却・購入ならお任せ下さい!

不動産売却・購入は、株式会社Fineblueまで

 

西宮市 甲子園六石町の不動産をご所有の方、ご売却のご相談は、株式会社Fineblueにお任せ下さい。

また、西宮市 甲子園六石町の不動産を購入をご検討されている方も株式会社Fineblueにお声掛け下さい。

弊社では、西宮市甲子園六石町の不動産売買をお考えの方に良きパートナーとしてお客様に寄り添って、売買のお手伝いをさせて頂いております。

どんな事でも、お気軽にお問い合わせください。ご連絡、お待ちしております。

 

甲子園六石町 【名前の由来】

町域の南端を旧中国街道が走る甲子園六石町。この六石も旧字ではなく、地元に伝わる物語から付けられた名前です。中国街道は、「大坂道」、あるいは「尼道」とも呼ばれ、大坂、尼崎が発達した近世、海岸沿いに誕生した新しい幹線道路です。この道の難所の一つが暴れ川「武庫川」と今は甲子園筋に姿を変えた支流の枝川でした。枝川は、武庫川の支流といっても武庫川本流に迫る川幅を有していました。埋め立てを最初に検討した旧鳴尾村では、枝川を残して武庫川を埋め立てる案があった程です。その事は、枝川とそのまた支流の申川を埋め立てた土地が80ヘクタールにおよんだ事でも分かります。そんな枝川に「六石の渡し」と呼ばれる渡しがありました。西の今津村側には、旅人相手の茶店もありました。茶店の周囲には、後に「三保の松原」に例えられた程の爽やかな松林、当時でしたら、六甲の山並み、甲山はもちろん、振り返れば海も一望だったでしょう。旅人は、風景を楽しみ、あるいは増水した水を引くのを待ちながら、茶店が出す餅で一服しました。その餅が人気を博し、毎日、六石も消費された為、「六石の渡し」呼ばれたというのです。しかし、六石といえば、およそ840kg、毎日の餅の消費量としては、桁外れですから、六石とは、砂ばかりの痩せ地の米の収穫量だったのではないかという説もあるのですが、ここでは、あえて、情緒があってユニークな「六石の餅」説に軍配をあげたいところです。昭和に入り、西宮市の一部になった今津では、新たに町名が付け直され、「六石の渡し」のゆかりの町には、昭和15年、今津六石町という名前が付けられました。そして、戦後、昭和27年町域再編成を経て、昭和39年には、全国的に有名な甲子園球場にちなむ町名の今津を甲子園に変更。現在の甲子園六石町が誕生しました。新興住宅地として産声をあげて80年、今も変わらず明るい街並みが魅力的な甲子園界隈です。

まとめ

甲子園六石町は、地元に伝わる「六石の渡し」の話が由来。

旧今津エリアにあったことから、一旦、今津六石町と命名されるが昭和39年、有名な甲子園球場にちなみ甲子園六石町に改称。

甲子園六石町 ファミール甲子園六石町のご紹介

ファミール甲子園六石町は丸紅建設施工、丸紅販売の2001年3月に竣工した総戸数21戸の7階建てのマンションです。専有面積は62.12㎡~115.15㎡、間取りは2LDK~4LDKでファミリー向けのマンションです。ファミール甲子園六石町は全住戸が南向きに配置され、その内の約半数が角住戸で、前面が道路になっていて光を遮る高い建物も無く、通風や採光が確保しやすくなっています。各住戸には床暖房と浴室乾燥機が備わり、エントランスはオートロック式で、24時間セキュリティーシステムも完備され、宅配ボックスも設置されています。また各住戸の玄関前には戸建感覚を演出するポーチやアルコープも設けられています。徒歩14分圏内には小、中学校などの各教育施設が揃っています。ファミール甲子園六石町は阪神電鉄本線の甲子園駅より徒歩4分と近く、通勤や通学に便利です。最寄り駅周辺には大型ショッピングモールや各金融機関などの生活施設が充実しており利便性に優れた環境にあります。

外観

エントランス

エントランス

駐車場

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